平成22年後楽堂初煮会

 2010年1月7日、初春の陽光溢れる好天の朝、上賀茂後楽堂において、恒例の初煮会が執り行われました。午前十時すぎ、後楽堂の広間に門人の皆様が大勢揃われ、家元と可楽家元嗣が正面、床を背に並んでお座りになりました。細田徳楽師範の司会のもと、家元から新年のご挨拶をいただきました。
 「今年は寅年ですが、十二支の本来の意味は、地中の種子が芽を出し、根を張り、上に枝を伸ばす、草木の生長をもとに大自然の輪廻を説明しものです。のちに分かりやすく動物が当てられたのですが、今年は寅年、これは実は、種子が地に根を張出す時にあたります。その寅年に因み、小川流も、若い世代を中心に、新たな(きざ)しの、意義ある年にしたいものです。また、可楽も、年末から新年にかけて、タイミングよく新聞・雑誌に取り上げられ、順調なスタートの年となりました。虎の威を借り、おごることのなく更なる研鑽を積んでいってほしいものです。とにかく若い世代への、バトン渡しの、着実な一年にしたいと思います。」
 また、家元嗣からは「皆様おめでとうございます。お陰様で昨年春には無事継承式を終えることができました。これも偏に皆様のご協力の賜物と思います。今年はその後はじめての初煮会ですが、これからも立場をわきまえ精進を重ねていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします」とのお言葉がありました。

   

   

 免状授与式では、各師範・社中の皆様が、皆伝をはじめとして入門の方まで、拍手とともに家元から免状を頂いておられました。式後は部屋を改めて、本格手前のお正月の荘りが設えられ、お席が始まりました。 家元の後見のもと、家元嗣のお手前。毎年20人から25人に伝来の大茶瓶を使われての本格手前。 それぞれ甘露を口にし、新年の思いを新たにされておられたことでしょう。お床の軸は「清神茗一杯」。山階宮晃親王の御筆。「萬寿」の炭組に添えられた南天の実の朱があざやか。 青竹の秋成筒にいけられた蝋梅と「開運」の線香の香りが、かそかに競い合っていました。
 二階の待合席では投扇興。またお隣の揮毫席では絵や俳句をしたためられる姿も。階下の中国の間では競茶席。各地の茶葉を味わいながら楽しみ、また回答に四苦八苦、時には喜びの歓声も上がり、新年らしい賑々しさ、明るい雰囲気に溢れていました。 新館一階では菊乃井さんのお料理による小饌。各地からの美酒を家元夫人みずからご接待くださり、今年もまた壮健に無事お会いできた喜びとともに杯を重ねられる方も多かったようです。

   

 翌8日は、ご来賓の方々が多く、可楽家元嗣のお手前に感激しながら、ゆっくり茶味をあじわい楽しんでおられました。夕刻からはブライトンホテルに移っての新年宴会。

   


まず、芳賀徹・京都造形芸術大学名誉学長のご挨拶「可楽家元嗣、ご子息揃われてのおもてなしがすばらしい。そこで一句作ってみました。

  〈 初雪や虎口に入りて茶一煎 〉

といった心の籠った句のご披露や、小川流にも何かよいキャッチコピーがあれば良いと思います」といった楽しい提案を交えてのご挨拶。また、中東弘枚岡神社宮司からは「先日、宮中で九条宮司様とお会いし、こちらでのご縁を感じたいへん嬉しく存じました。 小川流のますますの弥栄を祈念いたしております」と、それぞれ温かいお言葉をいただきました。

   

 そして仏文学者杉本秀太郎先生による乾杯のご発声を頂き、楽しい祝宴に移りました。 今年も利き酒はもちろん、家元三男の珂楽様の司会での抽選会など、楽しい時間は瞬く間にすぎ、おなごりを惜しみながらも、前田尚楽師範による閉会の言葉で、お開きとなりました。

   

   

   

 

 小川流煎茶の初煮会は、三清庵小川後楽堂(北区)で午前11時から催された。床には恒例のロウバイなどを生けるとともに、昨年家元嗣(し)に小川可楽若宗匠が就いたことを受け、山階宮晃親王の「清神茗一杯」の軸を掛け、気持ちを新たにした。
 可楽家元嗣が伝来の宜興(ぎこう)の大茶瓶(ちゃへい)で茶を入れ、えとにちなんだ茶碗に丁寧に注ぎ分け、甘露をふるまうかたわら、後楽家元が列席者と和やかに談笑した。
 8日も行い、約200人をもてなす。

(京都新聞2010年1月8日掲載記事より転載)

 

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