2010年10月24日、儀礼文化学会理事長の倉林先生をはじめとする38名の会員様が、「京都の歴史と文化を学ぶ」と題したセミナーの一つとして、三清庵にお越しになりました。
ご一行は先ず御家元の講演をお聞きになり、その後、玉露と煎茶の二席をお楽しみになりました。
器局手前による玉露席は御家元が後見をされ、略盆煎茶手前による立礼席は可楽家元嗣が後見をされるという、大変贅沢な会となりました。それだけに奉仕される方も担当させていただく喜びと、いつにない緊張感をもって、一生懸命つとめられました。
今橋治楽社中 平岡紫楽
10月24日、三清庵後楽堂で開かれた儀礼文化学会のお茶会に参加させていただきました。
お手前をするのは二度目のことで、慣れないお茶会にまだまだ不安がありました。その不安が何に起因していたのかというと、お道具のことです。
私には、ずっと疑問に思っていたことがありました。「お道具はお手前が使いやすいように考えて造られている」「お道具の形には意味がある」ということを日頃から先生は教えてくださっているけれど、お茶会で出るお道具は、お稽古の時のように使いやすいものとは限らない。矛盾している…という思いでした。その思いが、お茶会でお手前することへの不安となっていたのでした。
「守破離」という言葉を、お道具と重ねて教えていただきました。
お稽古で使っている基本のお道具は「守」。お茶会で使うお道具は「破」「離」。特に今回の儀礼文化学会のお茶会のような特別なものは「離」になる。「守」があるからこそ「破」と「離」かある。基本を忠実に守ってこそ「破」と「離」に行くことができ、また「破」と「離」を経験してこそ「守」〔基本〕の理解が深まる。
「守破離」の本来の意味を私はまだ正確には理解していませんが、先生から教わったこの捉え方は、私の抱いていた疑問と不安を楽にしてくれました。考えてみればどんなことにも共通する当たり前のことですが、お稽古―お茶会〔本番〕は繋がっていることを、改めて実感しました。お茶会のためにこれまで御家元や今橋先生からいただいた、「お道具と向き合う」「お道具が導いてくれる」という言葉も、日頃のお稽古から通じているものだと思うと、これからのお稽古により一層身が入る気がします。
儀礼文化学会のお茶会を終えて、普段お稽古で使わせていただくお道具の大切さと、お茶会で触れさせていただく、私より何倍も生きてきたお道具の壮大さを感じました。